NIKKAN→YAMAHAメロフォーンのモデル推移再考

 ○初めに 省略して本文へジャンプ!

 当メロフォニづムも、当初は単純にYAMAHA YMP-201を入手したわたしが、YAMAHAトランペットの改造パーツがポン付け出来るという嬉しい発見で舞い上がって好き勝手に書きなぐった「歌う蝸牛」Singing Snailというお気楽なコンテンツでした。

 2004.12.18のことです。

 大人初心者で楽譜も読めないくせに、音程が合っているかわからないまま耳コピ等した曲を練習して喜んでいた、無邪気な時期でした。

 そしてその後入手した謎のアルトホルン(結果、正体はバリトンでした)が縁で、当メロフォニづムのブレイン・師匠Hyper-Boo師と出会い、そしてメロフォーンに使われているトランペットのパーツから製造年代を推定してもらい……。

 やがて日本におけるメロフォーンの歴史を解明しようという無謀な試み、メロフォニづムが立ち上げられました。

 2005.5.9のことです。

 そして約四ヶ月、最低週に一度、Hyper-Boo師を中心にいろいろな方からの多大な情報提供を受けながら研究を続け、発表してきました。

 しかし、あまりに情報が多くなり、また謎が解けぬまま残っている部分も多々あり、客観的に見れば「非常に難解な」状態に陥っているように思えます。

 そこで、改めて今まで集積された情報を総合的に整理し、メロフォーンの歴史をごくシンプルにまとめてみようと思いこのページを追加することにしました。

 このページ自体が流動的に日々改変がなされることになることも予想されます。改定の都度にそれを告知していては読者を混乱させるばかりであると思いますので、このページの更新告知は行いません。日々の更新、改変、追加については従来のコンテンツにてお知らせします。

 そして肝心の構成ですが、

型番・仮説等 補足・論拠等

 こんな感じに年代ごとに型番の推移を追えます。

 読者は順番に文字通り眺めるだけでメロフォーンの日本史を鳥瞰出来る。興味があれば補足・論拠まで目を通せると思います。

 系譜図のような立体的な構成とならず、時系列に沿った直線的な構成ですがよりストレートでシンプルで惑いは少ないはずです。

 ということで、始まり始まり、です。

NIKKAN→YAMAHAメロフォーンのモデル推移再考

凡例 Y=YAMAHA N=NIKKAN YN=ブランドはYAMAHA・楽器はNIKKAN NY=ブランドはNIKKAN・楽器はYAMAHA
 
赤字は仮説です

1937 日本初 No.45(N) 同年・中華事変


以後、戦中・戦後の情報皆無
1960 現在最古 No.2(仮)(N) トランペットNo.2のパーツ(指掛け・支柱)を共用
ただし後のYMP-201(Y)のようなピストン周りの互換は無し
1961 No.2(仮)(N)
1962 No.2(仮)(N) No.2A (N)
1963 No.2(仮)(N) No.2A(N) No.2Aの指掛けはNo.1トラのパーツに似ている。
1964 No.2(仮)(N)No.2O(N) トランペットNo.2O生産初年度
この年式のNo.2(仮)も指掛けがNo.1トラのパーツに似ている。
1965 No.2O(N) TR-1生産開始(XX-X系)
1966 No.2O(N) No.X系廃盤か? トランペットNo.2O生産終了 トランペットTR-1生産本格化
No.2Oメロ生産終了 この年製にMP-1と同サイズのマウスパイプ(レシーバーサイズもか?)・メインスライドを持つ個体の事例あり。ウォーターキーはEb管。翌年のMP-1への過渡期形状か? 謎のNo.3Oについては要注意
1967 MP-1(N) 生産初年度か? コルネットCR-1生産開始=MP型と笠キャップが共用
ピストン上バネ部はCR-1に限らずXX-X系の楽器とサイズ的互換性有り 俵管は内径を微拡大? それ以外、後のYMP-201(Y)のようなピストン周りのサイズ的互換は無し
1968 MP-201(N) 型番のみ変更? CR-1→CR-331 TR-1→TR-331等 型番変更有り(XX-XXX系)
MP-1はカレッジモデルを示す2XXに変更。事実上の格下げ
パーツに微妙な変化有り。MP-201もこれに呼応しているが、MP-1とMP-201は同型異名と扱う。
1969 MP-201(N) ベル彫刻の単純化始まる(本格的カレッジモデル化か?)
1970 MP-201(N) YMP-201(N)? (YN)? (NY)? (Y)

YAMAHA正式にNIKKANを吸収合併 YAMAHA浜松工場稼働開始 NIKKAN埼玉工場は中低音楽器を中心に操業継続 NIKKANブランドは存続? 一時断絶?

*YAMAHA本社正式回答では、この秋YMP-201生産開始

*NIKKAN継続生産仮説

*後のYAMAHA型に使用される1ピースケーシングと同等のシルキーデザインのバルブケーシングを持つYTR-135の初期型が、'70年後期〜'71年初頭まで遡る可能性がある=つまり1ピースケーシングのメロ(YAMAHA型)が製造可能である

1971 YMP-201(N)?(YN)?(NY)?(Y)? *1ピースケーシングのメロ(YAMAHA型)が製造可能である
1972 YMP-201(N)?(YN)?(NY)?(Y)? *1ピースケーシングのメロ(YAMAHA型)が製造可能である
1973 YMP-201(N)?(YN)?(NY)?(Y)?

YAMAHAブランドでアルトホルン・フリューゲルホルン製造開始

*YAMAHA本社正式回答では、この春YMP-201が1ピ−スケーシング(YAMAHA型)生産開始

*YMP-201(Y)はピストン周りの大部分がトランペット(Y)とサイズ的に互換

1974 YMP-201(N)?(YN)?(NY)?(Y)? カタログ写真はMP-201と同型なれど、YAMAHA本社正式回答では前年春に1ピース化していた
1975 YMP-201(N)?(YN)?(NY)?(Y)?
1976 YMP-201(N)?(YN)?(NY)?(Y)?
1977 YMP-201(N)?(YN)?(NY)?(Y)?
1978 YMP-201(N)?(YN)?(NY)?(Y)?
1979 YMP-201(Y)(N)?(YN)?(NY)? 正式記録有り 10XXXX
〜'85 YMP-201(N)?(YN)?(NY)?(Y)? *YAMAHA本社正式回答:この秋に生産終了

 パーツ互換から見た NIKKAN-YAMAHAメロフォーンの変遷(総括)

Special Thanks Hyper-Boo師

 まず初めに、NIKKAN-YAMAHAのメロフォーンについて次のように四系統に分ける。

 1:'37年のカタログモデルNo.45から'60年以前までの間の「未確認系」=これは文字通りメロホニづムではまだ未確認。下バネ式で後のNo.2型へ続くと推定される。

 2:'60年製無銘柄メロフォーンから始まる下バネモデル「No.2型」=厳密にはNo.2(仮)メロとNo.2トラのパーツとの共通性は支柱や指掛け程度で弱いが、後の「No.2Oの先代にあたる型」として便宜上そう呼ぶ。

 3:'67年頃に開発された新機軸のメロフォーン「MP型」=下バネ方式を改め、当時最新の形式の上バネ(インナースプリング)・金属スピル等、プロモデルと呼んでも良いスペックを導入。

 4:'73年頃にYAMAHAブランドでリリースされたメロフォーンのうち、YAMAHA(シルキー)設計のピストンパーツを流用・応用した「YAMAHA型」=前後してMP型の楽器がYAMAHAブランドでリリースされたり、YAMAHA型の楽器がNIKKANブランドのYMP-201としてリリースされたりしているが、これらは販売上のブランドや型番ではなく、あくまで「楽器本体の形式」を持って区分する。

 No.45が日本最古の国産メロフォーンである確証は未だ見つかっていない。

 '37年のカタログ記述はあくまでNIKKAN初のメロフォーンを意味するが、このメロホニづムでは未確認の国産初メロを想定せず、このNo.45を仮に始原の国産メロとして扱う。

 このNo.45から'60年製No.2(仮)以前の未確認系については、CONNのコピーと思しきNo.45からNo.2(仮)までのデザイン変化・形式推移は推定困難であり、ここでは扱わない。

 未確認系の特徴は、その後のNo.2型から推論して下記の通りと思われる。

 1:MP型まで続くピストン径17.3mm(*アルトホルン'60年製No.2、'66年製No.2Aが同サイズであることが確認済み)はこの未確認系から続く伝統(Hyper-Boo師仮説 以下 HB仮説)

 2:No.2型同様に下バネ形式(HB仮説)

 3:当初はEb単調の楽器(No.45)とEb/Fロータリー切り替え式の楽器No.46の2機種であったが、後により単純なスライド組み替え方式へ切り替わったと思われる

 続くNo.2型は当初、形式名(番号)を与えられていなかったと思われる。

 '61年製の「No.1ベースと思しき廉価版?無型番トラ」(わたしはP型と仮称)、'63年8月製のNo.2A(一見、デザインはNo.2(仮)と大きく変わらない)の確認事例があるが、無型番と型番付きの作り分けの真意は資料が少なすぎてはっきりしない。

 またNo.2O以前のモデルはパーツの不統一性が大きい(No.2AもNo.2(仮)と大きく変わらないように思われる)。指掛け・支柱はその時その時のパーツを流用したのかとも見紛う混乱ぶり(実証例はNo.2(仮)のみだが)である。

 No.2O(下バネ方式)という統一感のあるモデルがリリースされ、不統一だったNo.2系統が仕様統合(整理?)されたと考えられる。

 そのNo.2Oは、YAMAHAとの技術提携('63年から)の一環でピストンにクロームメッキが施されたと思われる(HB仮説)。

 '65年末からNIKKAN最後の意地・YAMAHAのスタートを意味する新形式トランペットTR-1(YAMAHAではYTR-1)が生産され、No.2系は終焉を迎える。

 No.2型はNIKKAN独自開発メロの最終系と言える。ただし'66年、翌年のMP型と同サイズのマウスパイプ(レシーバーサイズもか?)・メインスライドを持つ個体の事例はあるが、ウォーターキーはまだEb管にあると推定される(その事例では欠品のため未確認)ため、No.2型として扱う。

 またrxl06170y氏によって、当時のバンドジャーナル誌の広告資料が某掲示板で提示された。その中に見られた'67年の「No.3O」に関 する広告から、後のMP-1と同等の楽器がNo.Xの型番で生産されていたことが示された。しかし実際の楽器は未見であり、またMP-1の生産開始の数ヶ 月前という時期的近接具合から見て、No.3O=MP-1であり、No.2系の後継としてNo.3系を想定することは控える。もしNo.3Oが実在したと しても、これはMP系に含めることが賢明であると考える。

 '67年にはNIKKAN-YAMAHA・XX-Xプロジェクト('65年末〜)にこのメロフォーンも加わる。MP型の誕生である。

 XX-Xプロジェクトは、YAMAHAの技術提携による基本設計の刷新を意味した。

 インナースプリング式上バネ、メタルスピル、そして洋白・ブラスの2ピースケーシングのセットの確立である。(HYper-Boo氏の弁)

 TR-1(TR-331)とCR-1(CR-331)など、ピストン径が同じ楽器についてはピストン周りのほとんどのパーツが互換可能だった。もちろんCRの場合は、管の取り回しが異なるのでピストン・枝管・バルブケーシング(径は同じ)は専用である。

 さらに伝統?の17.3mm径のピストンを持つメロフォーンの場合は、径の異なるバルブケーシングと内径加工(ラッピング程度か?)した俵管が必 要だった。俵管の内径加工はまだしも、バルブケーシングについては母材を共通にできるコルネットに比べて工程が格段に増えることを意味する。

 話が飛ぶが、この先に論じるYAMAHA型メロフォーンの特徴は、ピストン周辺パーツのトランペットパーツとの(ほぼ)完全互換(もちろん調性・管長の違う楽器なのでピストン・バルブケーシングは同径の専用設計)。

 それを考慮すれば、ただでさえ特殊な楽器+ただでさえ高価なパーツ+ただでさえ余計な加工(不完全なトランペットとの互換性)と、特別扱いに思える。

 後のYAMAHA型の道(ピストン径をトランペットに合わせてパーツの互換性を上げる)を辿らなかったことからも、NIKKAN側の何らかのこだわりが垣間見える。

 MP型は以上のことから、NIKKAN意地の新機軸系と言える。(その点からも、その前身・あるいは開発名にNIKKAN式ネーミング「No.3O」が用いられ、広告に載ったものの実機はリリースされなかった、という仮説をわたしは支持する)

 ただしこの時、妥協の産物としてか? 伝統のEb調基本のメロフォーンは代替フレンチホルンとしてF調基本に設計変更されたのではないだろうか?  また、前出のバンドジャーナルの広告資料によれば、MP-1はTR-1とは異なり、最高機種Noではなかったことが認められる。広告上で明らかにMP- 1はカレッジモデルとして紹介されているからだ。

 '68年からMP型は型番呼称が変更される。その際にMP-1(1は本来は最高機種No)はMP-201という、普及版(カレッジモデル)を示す2XXへと格下げされるが、パーツ規格はMP-1と同等の高級仕様のまま。

 ただしそれまで同じ「1」を冠していたトランペットがさらに進化したための「お下がりパーツ」を供給されたという見方も出来る(HB仮説)。

 '70年にはYAMAHAは正式にNIKKANを吸収合併し、YAMAHA浜松工場が操業開始する。

 この時、NIKKANの埼玉工場は中低音楽器のラインとして分化したということで、メロフォーンは埼玉工場で生産され続けたと思われる。一方、トランペットなどの主力楽器は最新鋭の浜松工場で生産されたと思われる。

 前出のバンドジャーナル誌広告に、ヤマハの豊田工場でYMP-201が生産されている旨の記述があ るが、豊田工場はヤマハの社史には登場しない。このような誤字とNIKKAN-YAMAHAの首尾一貫しない広報状態(未見のNo.3Oが宣伝されている 一方、現存するNo.2OやMP-201が広告されていない)が垣間見えることからも、広告資料の取り扱いは慎重に行われなければならない思われる。

 YAMAHAの公式回答によればこの年の秋にYMP-201は生産開始された。

 当初は埼玉工場に在庫されたMP用のパーツが使用され、シリアルNoは新たにYAMAHA式の連番 (製造年の読み取れない連番)となった。その1500番台では従来のMP用パーツ(TR-1系トラの流用)ではなく、TR-2系トラのパーツが使われてい ることから、TR-1トラのパーツ在庫が枯渇して、別の在庫パーツ(TR-2)が流用されたのではないかと推定される(HB仮説)。

 その後の3500番台ではそれまでサイズ的互換がなかったシルキーデザインのYAMAHA製キャップ類が流用され(TR-2系俵管のネジ部切り直し)、徐々にパーツのYAMAHA化が進行している。

 YAMAHAの公式回答によれば'73年春にピストンケーシングが1ピース化されたということで、この時、NIKKAN時代の遺産であるパーツ在庫はなくなり、真正YAMAHA型YMP-201が生産されたのだろう(HB仮説)。

 シリアルで言うと、現段階3700番台がYAMAHA型最古の確認例である。

 ただし、YAMAHA型1ピースケーシングの原点であるYTR-135の製造が、'70年後期〜'71年初頭まで遡ることが考えられる。

 これが意味するところは、ニッケルメッキのピストンへの導入年次が同年まで遡ることと、後のYAMAHA型で用いられる各種トラパーツがこの年次まで遡って存在することである。

 現在発見されていない「YMP-201のピストンがクロムメッキのもの」=当初、初期型YMP-201と考えていたもの が存在しない可能性

 現在発見されていない「1ピースケーシングの(800番よりも)若いシリアルを持つもの」 が存在するかも知れない可能性

 が出てきている。ただし後者はYAMAHA公式発表から考えれば可能性が限りなく低い。

 ちなみにYMP-201の'74年のカタログ写真がMP型であるが、これは単にカタログ写真が間に合わなかったタイムラグであると思われる。

(以下、一部 一時取り下げ)

 さらに、NIKKANブランドのYMP-201でYAMAHA型の 800番台の楽器が存在するが、これはシリアルの齟齬ではなく、YAMAHA型YMP-201生産後にNIKKANブランドのYMP-201が個別のシリ アルNoで生産された、すなわち'70年の合併から数年間、NIKKANブランドの楽器は存在しなかったことを意味するのでは? とHyper-Boo師 は仮定する。

 YAMAHA型の特徴は、真正YAMHA(シルキー)デザインのトランペットパーツの導入である。

 ピストンやバルブケーシング、枝管以外のパーツが(少なくともサイズ的に)完全互換性がある。ピストン径が、それまで頑なに守られてきたアルトホ ルン同様の17.3mmからトラ同様の16.9mmへとサイズダウンされる。MP型のような最高水準(当時)のパーツの使用はなくなり、普及版のパーツが 無加工で使用される。最大のコスト抑制手法と言える。

 この段階でメロフォーンの普及の仕方の方向性は決まったのだろう。

 安く・多く・教育現場へ。代替フレンチホルンとしての普及が本格化していくのだろう。

 そして経済水準の変化から、特殊な代替楽器メロフォーンは、真正フレンチホルンに放逐されるようにして消えていく。

 YAMAHAの公式回答によれば、'85年秋、YMP-201は生産終了する。